古田武彦記念古代史セミナー
「古代史を学問する2026」開催
倭国から日本へ
~白村江の戦い後の東アジア外交の視点から~
| 【開催日時】 | 2026年11月14日(土)~15日(日) |
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| 【開催形式】 | 会場参加とZoomを用いたオンライン参加の同時双方型ハイブリッドセミナー |
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| 【対象】 | 古代史に関心のある方ならどのたでも |
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| 【開催場所】 | 会場 |
公益財団法人大学セミナーハウス 東京都八王子市下柚木1987-1 |
| オンライン | Zoomミーテングルーム | |
【参加者募集中】 ◆詳細及びお申込みはこちらを |
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9月 第65回「和田家文書研究会」例会報告
8月 月例会報告
古田史学の会
古代史講演会in東京
本講演会は飛鳥・藤原の宮都」世界文化遺産選定と「古代に真実」を求めて第二十九集 |
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※東京古田会では古代史、古墳や古い神社、仏閣、に興味のある方や古事記、日本書紀 を読んいる方、読んでみたい方など新しい仲間の入会をお待ちしております。

東京古田会は新規会員を常時募集しています。古田武彦や古代史に興味のある方、どうぞお気軽にお問合せ下さい。又、入会ご希望の方や、本会にご興味のある知人・友人の方をご紹介ください。入会希望の方は「事務局」に電話又はメールで住所・氏名等をご連絡ください。事務局へのメールは ![]()
年会費は4,000円になります。
9月 月例会
| 【日 時】 | 令和8年9月26日(土曜日) 13時から17時 |
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| 【会 場】 | ||
| 【第一部】 | 1. 研究発表 |
「倭京研究ノート」より 新庄 宗昭氏 |
2. 懇談会 |
フリートーキング | |
【休 憩】 |
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| 【第二部】 | 1. 勉強会 |
題名:「古田武彦著作集」から『邪馬壹国の論理』その3 新保 高之氏 |
2. 読書会 |
題名:『日本書紀』「清寧天皇紀他」を読むその4 新保 高之氏 |
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10月 月例会
| 【日 時】 | 令和8年10月31日(土曜日) 13時から17時 |
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| 【会 場】 | 中央区・ー後日お知らせー |
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| 【第一部】 | 1. 勉強会 |
「空白の時代・卑弥呼の時代のヤマト王権」 竹田 侑子氏 |
2. 懇談会 |
フリートーキング | |
【休 憩】 |
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| 【第二部】 | 1. 勉強会 |
題名:「古田武彦著作集」から『邪馬壹国の論理』その4 新保 高之氏 |
2. 読書会 |
題名:『日本書紀』「清寧天皇紀他」を読むその5 新保 高之氏 |
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≪トピック 36≫ |
ー日本人のゲノムには、デニソワ人由来の遺伝子が一部存在ー |
シベリア南部の洞窟で発見された骨のゲノム(遺伝子情報)解析で2010年に存在が報告されてからも、多くの謎につつまれたデニソワ人が、中国南西部にもいたことがわかったと中国科学院などの研究グループが9月9日付の科学誌「ネイチャー」に発表しました。
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≪トピック 37≫ |
「伊都国」福岡県糸島市の弥生時代の遺跡群、 |
1990年代初頭に、同地区の深江井牟田遺跡から中国式銅剣2本や、古代中国・漢の出先機関だった楽浪郡(現在の平壌付近)の多様な土器が多数出土し、大陸との交流がうかがわれたためだ。東隣にある深江城崎(じょうざき)遺跡で2025年、弥生時代後期初頭から前半(1世紀頃)の遺構から、木製の台「案」が初めて完全な形で出土した。天板は幅約65センチ、奥行き40センチで、脚の高さ約19センチ。指物技術で組み立てられており、漢製の案を模倣して国内で作られたとみられる。天板には刃物による傷が多数あるため、まな板として使われたとの見方があり、儀礼や供宴に用いられた可能性もある。案の近くでは、船の部材や背負子(しょいこ)など、港としての機能を示す遺物が見つかり、港湾集落があったことが裏付けられた。特に注目されるのは、準構造船の内部を仕切る幅1.4メートルの隔壁だ。 準構造船は、丸木舟の側面を板でかさ上げして大きくした船。久宝寺遺跡(大阪府)で出土した外洋船とみられる3世紀後半頃の準構造船が復元幅約1.5メートルで、調査を担当した市文化課の江崎靖隆さんは「この準構造船も、朝鮮半島、中国など遠方まで航海可能な規模だったと考えられる」とする。 深江城崎遺遺跡では、21年度にクジラが描かれた弥生土器が出土して一支(いき)国の王都だった原の辻遺跡(長崎県壱岐市)に続く国内2例目だったことから、一支国とも交流があったと考えられている。隣接する深江石町遺跡では24年度、弥生時代後期前半の遺構から、中国・漢で作られた木製の櫛(くし)「箆(び)」が国内で初めて出土した。長さ7.1センチ、幅5.5センチ、厚さ0.1~0.5センチ。歯は細かくて本数が多く、髪の汚れを取り除くために使われたとみられる。こうした木製品が出土したのは、深江地区一帯が低地の湿地帯で、木材の保存状態が良かったことも要因だ。深江石町遺跡では、湿地を利用して木材を穴の中で保存していた痕跡があり、22年度には製作途中の木製のよろいが見つかったことから木材加工の拠点だった可能性もある。魏志倭人伝は伊都国について、代々の王は「女王国(邪馬台国連合)に統属」し、漢の後の王朝・魏の出先機関だった帯方郡の使者が常駐していたと記す。女王国と連携して諸国を監視する「一大率(いちだいそつ)」が置かれ、使者がもたらした物や文書を確認していたとしており、伊都国が内政、外交上特別な地位にあったことが解る伊都国の王都は、深江遺跡群の北東約10キロに位置する三雲・井原遺跡群とされる。対外交流の拠点とみられる遺跡は、03年の調査で玉造工房跡が見つかった潤地頭給(うるうじとうきゅう)遺跡など、当時の海岸線沿いに複数ある。中でも深江地区と、糸島半島東側の今宿五郎江遺跡(福岡市西区)は、出土した楽浪系の土器の数や多様さで突出し、特に重要な拠点だったと考えられている。 西谷正・九州大名誉教授(東アジア考古学)は「準構造船が出てきたことで、深江地区の『西の玄関口』としての役割が裏付けられた。伊都国の外交や交易の様子を明らかにする手がかりとしての意義は大きい」と話した。
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万葉集オンライン学習会の案内
東京古田会会員の広幡文氏による「万葉集オンライン学習会」が始まりました。 広幡氏は永年、万葉集の歌を詠み解き,歌が詠まれた時代背景、古事記、日本書紀などに書かれている事柄との関係を研究されております。 この機会に会員方、会員でない方、学生の方、どなたでもパソコン、スマホをお持ちであれば参加できます。詳細は下記案内を参照ください。参加費は無料です。 金銭的な問題はありませんが内容等に疑問、不審点があるときは東京古田会事務局までご連絡ください。 |
ーいよいよ始まりましたー8月9日(日曜日) 第3回学習会は9名の参加。今回から開始時間を午前9時としています。今回は「五月に白い花の咲く橘」が歌に詠まれる越国を、3327歌(大分青の馬)や3881~84の越中国歌を入り口に、巻17~20の越中・越前歌を読み、豊後南海部郡・大野郡と解きました。次回は「大伴旅人」特集です。大伴家持の父で、大宰帥として大宰府に赴任。赴任中に山上憶良と親しく交流しています。その大伴旅人の歌を詠み、「太い」の点のない「大宰府」の場所を探します。 次回は9月13日(第2日曜日)09時00分から 尚学習会で利用する題目等の参考資料はメール【hirohata3888@outlook.jp]までご請求下さい。
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新刊紹介
千三百年前の歌には、まだ聞かれぬ声がある!!万葉集は、遠い古典である前に、古代の人々が思いを託した生きた言葉だった。 ![]()
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古代史講演会in 池上会館報告 講師:服部静尚氏
| 日時:2026年8月16日(日)13時30分~16時 第8回 題目「九州王朝の天皇」 船王後墓誌などより |
| 【講演内容】 1、船王後の墓誌の天皇は九州王朝の天子 2、法隆寺釈迦三尊光背銘の上宮法皇 3、七世紀中頃、難波宮治天下天皇と女帝が見える 4、七世紀後半の金石文には飛鳥浄御原宮とある 5、金石文が示す九州王朝の歴代天皇のまとめ |
| 講演聴講者からの投稿 千葉市 倉沢良典さん |
令和8年8月16日、寒冷渦とかで不順な天気、3日前は千葉で大雨でした。 |
https://www.youtube.com/@hattori_yao チャンネル登録をお願い致します。 |
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東京古田会は新規会員を常時募集しています。古田武彦や古代史に興味のある方、どうぞお気軽にお問合せ下さい。又、入会ご希望の方や、本会にご興味のある知人・友人の方をご紹介ください。入会希望の方は「事務局」に電話又はメールで住所・氏名等をご連絡ください。事務局へのメールは ![]()
年会費は4,000円になります。
東京古田会では会報「東京古田会ニュース」へ掲載する論文・小論・古代史雑感などを募集しています。住所・氏名を必ず明記のうえ500字から5,000字程度にまとめて、事務局」までメールにてお送り下さい。ただし、特定個人への中傷や古代史と無関係な場合は掲載をお断りすることがあります。予めご了承ください。また、他紙などへすでに
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掲載の可否については編集会議で決定させていただきます。
尚、掲載された原稿は当会に著作権があるものと致します。
事務局へのメールは ![]()







福岡県糸島市深江地区にある弥生時代の遺跡群で近年、中国や朝鮮半島との交流を裏付ける木製品の出土が相次いでいる。糸島地域は中国の歴史書「魏志倭人伝」に記された「伊都国」の所在地として知られており、深江地区一帯が海外の先進文化を受け入れる窓口だった様子が具体的に浮かび上がってきた。(白石知子)唐津湾に面する深江地区には、弥生時代中期後半から古墳時代初頭(紀元前1世紀~紀元後3世紀後半)にかけて港湾集落があったと考えられてきた。




