古田武彦と古代史を研究する会(東京古田会)へようこそ‼

古田武彦氏は、1971年『「邪馬台国」はなかった』を上梓し古代史研究に一大センセーションを巻き起こしました。
中国史書魏志倭人伝に登場する「邪馬台国」は、ただしくは「邪馬壹(壱)国」で、九州博多湾岸に存在した、ことを論証したからです。
当会は、古田武彦氏の研究の業績と方法論に基づいて、日本の古代史を探求する集まりで、1981年に発足しました。

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お知らせ


11月 月例会報告

11月30日 中央区・新富区民館 会場参加(11名) リモート参加(8名)

第一部(発表と懇談会)
「研究発表」 ①「邪馬壹はヤメとも読める」  
尾関 育三氏


(1)発表内容:中国上古音・中古音の解読として、反切という音写の方法(二文字の組合せで、ある文字の語頭子音に次の文字の主母音を組合わせて、音を構成するもの)があります。これによれば「邪馬壹」はヤメ、「邪馬臺」はヤメに近い音になります。
(2)質疑等:①この研究を今後どう発展していくのか。②これを利用した古代地名や人名の見直しは。③中国古代音の解明度合に関する意見の食い違いが見られました。(発表・質疑30分)

②「古田武彦記念古代史セミナー2024年」  橘高 修 副会長
(1)発表内容❶⃣実行委員長挨拶、❷中村修也氏特別講演、❸このセミナーがめざすもの、❹基調講演およびパネル参加者による論稿発表とディスカッションよび中村氏の講評、❺実行委員長の講評、などについて簡潔な報告と解説がありました。

(2)質疑等:会場から「日本中央碑」に関する言及がされなかったことへの疑義が出されましたが、この碑の古代史上の位置づけに意見の隔たりがあるように感じました。(実質発表・質疑45分) 


【懇談会】
 会場参加の倉沢良典氏から「中高年生に向けた古田史学のわかりやすい古代史」の書籍をまとめている」との話がありました。時間配分の都合で次の月例会で資料を配布・説明する予定です。(説明他5分)

倉沢氏の参考資料は こちらをクリック して下さい

第二部(勉強会と読書会)  司会と説明は新保幹事


【勉強会】 「古田武彦『盗まれた神話』その一」 

(1)対象項目は、①目次、②はじめに、③第一章「謎にみちた二書」、④第二章「いわゆる戦後史学への批判」、及び⑤第三章「『記・紀』にみる九州王朝」、でした。(2)質疑などで、1971年の発刊後に「和田家文書」や稲荷山古墳の「金錯銘鉄剣」などの発見などがあったことを取り入れながら、先生の解釈などを見ていこうとの意見がありました。(実質的解説・質疑30分)


【読書会】 「岩波文庫『日本書紀』持統紀その一」 

(1)対象項目は、①持統紀の構成、②即位前紀~十一年の各年条の主要記事、③補注、④即位前紀、でした。 
(2)質疑の中で、持統八年条の「藤原京への遷居」に関し、「『書紀』の中で用語「遷都」と「遷居」の使い分けがあるのだろうか」との意見がありました。調べてみたいと思います。(解説・質疑25分)

一部、二部の題目資料は こちらをクリック して下さい



『和田家文書』をみちづれに東日流(つがる)の旅旅行報告

11月27日~29日で弘前の「秋田孝季集史研究会」(5名)「東京古田会」(15名)
総勢20名で同会共同企画「語部と歩く東日流」の旅が実施されました。

(1日目)
青森空港から、木造駅、森田町の石神遺跡、鯵ヶ沢、深浦町円覚寺の宝物館(不老不死温泉・宿泊)

(2日目)
深浦から日本海を左手に眺めながら北金ヶ沢の大イチヨウ、鯵ヶ沢、そして津軽半島を北上、木造亀ヶ岡考古資料室、語部帯川家の地と石上神社、元阿闇羅川河口(大津波で川が埋まる)、浜の明神、十三湖有澗浜(うまのはま)、旧安倍神社(オセドウ遺跡)と十三湖を一周、昆布掛邑、藤枝邑の語部の居住地を経由し五所川原市(宿泊)

(3日目)
砂沢遺跡、山風森、弘前・板柳町、田舎館村、青森空港と380Kmを2泊3日で走破する旅でした。語部により残された「和田家文書」語部の古代地名、伝承されている逸話、津保化(ツボケ)族,荒覇吐(アラハバキ)族、歴代日本(ヒノモト)将軍の聖地の場所の探求の旅で、天候は晴れたり雨降ったり雪降ったり風吹いたりが繰り返され、冬、間近の津軽の厳しさを知らされました。それぞれその成果は全員の胸に刻み込まれ充実した3日間でした。


旅行記は次号「会報」に掲載されますのでお楽しみ!

旅行資料は①こちらをクリック こちらをクリック

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12月 月例会

【日 時】

令和6年12月21日(土曜日) 13時~17時

【会 場】

中央区立浜町区民館 洋室5号  アクセスはこちらをクリック

【第一部】

1. 研究発表

「難波に九州王朝副都はなかった」
大下 隆司氏

2. 懇親会

フリートーク

【休 憩】

【第二部】

1. 勉強会

題名:「古田武彦著作集」から  新保 高之氏
    『盗まれた神話』

2. 読書会

題名:『日本書紀』を読む  新保 高之氏
    「持統紀」



『和田家文書』研究会・開催

【日 時】

令和7年1月11日 (土曜日) 14時~17時

【会 場】

中央区・新川区民館 洋室6号室  アクセスはこちらをクリック

【テーマ】

1.東日流(つがる)旅行からの発見   安彦 克己氏

2.『和田家文書』から見えてくる未知の中世



1月 月例会

【日 時】

令和7年1月25日 (土曜日) 13時~17時

【会 場】

中央区・明石町区民館 洋室5号  アクセスはこちらをクリック

【第一部】

1. 研究発表

題名:「古田氏の旧説撤回問題について」   國枝 浩 氏

2. 懇親会

フリートーク

【休 憩】

【第二部】

1. 勉強会

題名:「古田武彦著作集」から  新保 高之氏
    『盗まれた神話』

2. 読書会

題名:『日本書紀』を読む  新保 高之氏
    「持統紀」



新春古代史講演会  主催:古代史の会

【日 時】

令和7年1月19日 (日曜日) 13:30~17:00

【会 場】

キャンパスプラザ京都  アクセスはこちらをクリック

【第一部】

「考古学と博物館の魅力を未来に」  中尾 智行氏
特別講演していただきます中尾智行氏は文化庁博物館支援調査官として全国の博物館に、期待される新しい業務への伴走支援を行うとともに、学芸員等、博物館の専門的職員の資質向上を図ることを目的とした実証事業を通じて、成果と課題を検証し、国内他館に横展開するための調査研究を行っております。

当会での講演は異例のことで新たな道が開けると期待してます。

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【第二部】

①「畿内に邪馬台国はなかった」  関川 尚攻氏

畿内ではありえぬ「邪馬台国」
-考古学者から見た邪馬台国大和説ー

関川尚攻氏は元橿原考古学研究所で45年間畿内の遺跡の発掘調査に携わり数々の実績を上げ畿内の遺跡群の実情を見て「邪馬台国」は畿内にはなかつたと結論付けた。10月の東京講演でも多くの聴講者を共感させた。

②「百済の古墳と【倭の五王】」  正木 裕氏



古代史トピック

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当会会員の服部静尚氏(市民古代史の会・八尾代表)が 古田武彦氏の九州王朝説をベースに教科書で教えない古代史、そして新説を、真実の歴史をわかり易く「東京の池上会館」で2025年1月から12回にわたり講演を行います。会員の皆様、古代史に興味 をお持ちの方々、ぜひご参集ください。

詳細につきましては左側の実施詳細を見て下さい。

●予約申し込み無くとも、先着80名までは入場可

●メールで予約される場合は、hatt183002@live.jp

電話で予約する場合は、☎ 090-7364-9535 服部



古代史トピック

   

≪トピック 13≫

「大化改新」舞台の難波宮跡
発掘調査で宮殿の新たな広がりを確認

 

7世紀半ばに出現し、「大化改新」と呼ばれる政治改革の舞台にもなった難波宮跡大阪市中央区)で10月、新たな発掘調査が行われ、大阪市教育委員会は宮殿の新たな広がりが確認できたと発表した。

難波宮は、孝徳天皇らが645年に飛鳥から難波に遷都し造営した飛鳥時代の前期難波宮と、この焼失後の726年に聖武天皇によって造営が始められた後期難波宮の二つの時期に分けられる。1954年から継続している発掘調査により、後期難波宮は前期難波宮の跡地のほぼ真上に建てられ、遺跡が重なっていることが明らかになっている。

今回の発掘調査により明らかになったのは、東西約650メートルと推定される難波宮跡のうち、天皇の居室とされる内裏や、儀式が行われたとされる朝堂院の東側に位置し、役所を意味する「東方官衙 (とうほうかんが)」と呼ばれる地区の南方への広がりだ。これまでに見つかっている東方官衙の回廊の柱の穴と同様の跡が14カ所確認された。さらに後期難波宮の時代に地面に敷き詰められたとみられる小石も見つかった。格の高い場所の舗装の跡だと考えられるという。

大阪市教委の佐藤隆・主任学芸員は「難波宮の全体構造を推定していく大きな手がかりが得られた」と話す。

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今回の難波宮跡発掘現場。

白線で囲まれた部分に前期難波宮「東方官衙」の柱の穴の跡が確認された。担当者が指さしているのは後期難波宮の時期のものとみられる石敷き=2024年11月14日午前10時33分、松浦祥子撮影 朝日デジタル



古代史トピック

   

≪トピック 14≫

仁徳陵、明治期に濠の堤2mかさ上げ…列強各国にアピールか

宮内庁は29日、日本最大の前方後円墳・ 大山(だいせん) 古墳(仁徳天皇陵古墳、堺市)を囲む 濠(ほり) の堤が、明治期に約2メートルかさ上げされていたとみられると発表した。5世紀頃の築造当初から大幅に改造して古墳の存在感を増したと考えられ、宮内庁は「明治政府が列強各国に対し、日本の天皇制や歴史をアピールする狙いがあったのだろう」と分析している。

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大山古墳の墳丘は、三重の濠と堤で囲まれている。宮内庁は堤の護岸整備を前に、古墳北西の堤や濠の底など計7か所を発掘調査した。現在はほぼ同じ高さの濠の堤のうち真ん中の第2堤では、築造当初の地表面の上に、江戸時代以降の陶磁器片が混ざった地層約2メートル分が確認された。

 宮内庁に残る公文書などから、第2堤の外側の濠は江戸時代に埋め立てられ、明治期に再び掘削されたと考えられている。宮内庁は、この時に掘削した土が、第2堤のかさ上げに使われたとみている。

 最も外側の第3堤も同様に土を盛っており、宮内庁の調査担当者は「陵墓を荘厳に見せるため、明治期に整え直したのだろう」と話している。

 大山古墳は、2019年に世界文化遺産に登録された「 百舌鳥(もず) ・古市古墳群」の構成資産の一つとなっている。


読売新聞2024/11/30 配信記事



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