古田武彦と古代史を研究する会(東京古田会)へようこそ‼

古田武彦氏は、1971年『「邪馬台国」はなかった』を上梓し古代史研究に一大センセーションを巻き起こしました。
中国史書魏志倭人伝に登場する「邪馬台国」は、ただしくは「邪馬壹(壱)国」で、九州博多湾岸に存在した、ことを論証したからです。
当会は、古田武彦氏の研究の業績と方法論に基づいて、日本の古代史を探求する集まりで、1981年に発足しました。

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   つがるそとさんぐんし     わだけもんじょ               

『東日流外三郡誌』・「和田家文書」の真実

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当会では30年前「偽書」と断じられた『東日流外三郡誌』の真実を解明 すべき「和田家文書研究会」を立ち上げ、課題を1件ごとに検証を進め ております。莫大な文書、絵図、逸話、語部録等を紐解き「ひとつ」 でも真実を掴むために!今も続けております。

下段の項目ボタンをクリックして紐解いてみてくださいー
北鑑 和田家文書コレクション 和田家資料1~5 天内・天真名井家文書

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古代史トピック

 
 

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お知らせ


古田武彦記念古代史セミナー
「古代史を学問する2026」開催
倭国から日本へ
~白村江の戦い後の東アジア外交の視点から~

【開催日時】

2026年11月14日(土)~15日(日)

【開催形式】

会場参加とZoomを用いたオンライン参加の同時双方型ハイブリッドセミナー

【対象】

古代史に関心のある方ならどのたでも

【開催場所】

会場

公益財団法人大学セミナーハウス
東京都八王子市下柚木1987-1
オンライン Zoomミーテングルーム

【参加者募集中】

◆詳細及びお申込みはこちらを こちらをクリック して下さい。


9月 月例会報告

【日 時】

令和8年9月26日(土曜日)  13時から17時

【会 場】

中央区・人形町区民館  参加者12名  リモート参加6名

第一部 【研究発表と懇談会】

(1)研究発表: 「「世界文化遺産/飛鳥・藤原の宮都」の宿題」   新庄 宗昭氏

 

1.説明の趣旨:
「飛鳥浄御原宮は明日香村岡の台地にはない」を他力本願でとどめを刺す事

 

2.発表項目:

❶飛鳥宮には律令宮殿のコア・内郭が不自然な逆台形、❷プロ集団が落ち込んだ陥穽、❸飛鳥宮には内郭がなかった、❹宅地四町の長屋王邸と嶋宮、❺鳥川を基軸とした空間構造・正殿配置、❻岡の台地の遺構が示す微妙な歴史の重なり、❼急ぎ過ぎた結論・嶋宮と飛鳥浄御原宮、

 

3.主張:

❶明日香村岡の台地には浄御原宮のあるべき場所はない。❷世界文化遺産への登録が済んだから、この所在地を本気で探すことが研究者に残された宿題である。

 

4.質疑等:

❶律令宮殿かどうかは定義ではなく実例によって決める。❷「倭京」は藤原京の下部層ではなく大宰府や難波宮を指す可能性もあるか。❸蘇我氏の拠点・島の庄と嶋の宮の関係。❹「倭の五王」の宮殿地は不明のまま、などがありました。 

 

5.感想:

❶事前に用意された動画映像が使えないため、説明に苦労される様子が伺えました。   

❷説明の趣旨と内容はよく理解でき、この問題に関する強い熱意が感じられました。   

❸今後も続編の発表を期待します。          (発表70分、質疑30分)


発表概要の資料は こちらをクリック してご覧下さい。

【懇談会】

会場参加の倉沢さんが「皇室・皇位をめぐる議論に関する研究成果の尊重を求める古代史研者の会の声明」を配布・紹介されました。これは今回の皇室典範改正に際して、「皇位の男系継承は2600年以上にわたって先人たちが守りぬいてきた皇室の伝承」との政治的な発言に対して、訂正と反省を強く求めるものです。会場から「古代史関係でもこ様うな行動を起こす研究者グループはいないのか?」の声が有りました。

なお、この声明文はインターネットでの閲覧も可能です。     (5分)


声明文は こちらをクリック してお読みください。

第二部 【勉強会と読書会】  新保 高之 氏


(1)【勉強会】 題名:「古田武彦著作集」から『邪馬壹国の論理』 その3


1. 履修対象:

第二編の第三章〔邪馬壹国の諸問題〕・第四章〔魏晋(西晋)朝短理の史料批判〕 

 

2. 履修内容:

❶第三章は尾崎雄一郎氏の「邪馬臺国について」と牧健二氏の「古田武彦氏の『邪馬壹国』について」への再批判、第四章は山尾幸久の『魏志倭人伝』に対する批判 ❷各章を構成する全節から要点を抽出した説明と解説がありました。なお、尾崎先生と牧先生の専門はそれぞれ、「中国語音韻学」と「日本の法制史学」、山尾先生の専門は「日本古代史」です。

 

3. 重要事項・質疑等:

❶古田氏はこれら先生に対して皮肉を交えた辛口の反論をされています。❷なお、前回対象とした「榎先生の反論」を掲載した読売新聞の記事は、73年5月29日~6月16日の夕刊に掲載されていました(補足説明等)。❸意見として、「古田氏が自説を変えた際の説明が不十分」、「外国語の音韻表記は一般に一致しない」、等がありました。     (解説・質疑40分)

 

(2) 【読書会】 「清寧他天皇紀その4」                            

 

1. 対象:

「仁賢天皇紀」即位前記及び元年~十一年条と②三天皇紀に関する補注10件の再掲     

 

2. 主要記事と特徴:

元年「億計天皇即位」・二年「皇后が自死」・六年「日鷹吉士の高麗派遣、飽田女の嘆き」・十一年「天皇崩御・埋葬、などでした。特徴としては、顕宗紀とは記事構成が大違いなことでした。 

 

3. 説明の内容:

「仁賢天皇紀」全体の原文記事・頁注釈・補注と現代語訳を例示、及び②巻15する「補注」の特徴等の説明でした。

 

4. 質 疑 等:

❶「難波小野皇后自死」の動機に説得力なし。❷夫が高麗に赴いた「飽田女の嘆き説話」の挿入意図が不可解、など。❸「補注」から、この三天皇紀の中心は「顕宗紀」である、等でした。 (解説・質疑25分)



発表資料は こちらをクリック してご覧下さい。


9月 第65回「和田家文書研究会」例会報告

【日 時】

令和8年9月12日(土曜日)  14時から17時

【会 場】

中央区・堀留区民館 洋室3号  参加者7名 リモート参加6名

発表1. 『陸奥話記』と「和田家文書」その9  菊地栄吾氏
今回は「陸奥話記」(9)の「頼義軍容を整う」と「小松の柵攻略」の陣容や戦価の詳細についての表記について『陸奥話記』と「和田家文書」でどのように書かれ伝えられているかを対比し詳細を述べた。印象としては「和田家文書」の方が事細かに書かれているのではとの事でした。

発表2. 「がり」地名の研究—肥前から逃げた愛瀰詩(えみし)—   古賀達也氏
全国の「ケ里(がり)」例えば「大曲(おおまがり)」「吉野ヶ里(よしのがり)」等の用例を注出してみたところ「がり」地名が東北地方と佐賀県に濃密分布しており、両地域の人々が過去のある時代から交流していた発表2. 証ではないか、と発表しました。

発表3. 中尊寺の一字金輪佛頂尊と梵鐘  安彦克己氏
2026年7月16日世界遺産登録15周年記念で公開された秘仏「一字金輪仏頂尊」について「和田家文書」に「(略)平泉中尊邸に前世に在りき安倍家寺跡・佛頂寺は跡形なきと相成て、茲に中尊佛頂像を造りて安置せりと曰ふ。」と書かれている、この仏像こそ「一字金輪仏頂尊」ではと、諸記録を紐解き解説された。

発表資料1~3は こちらをクリック してご覧下さい。


※東京古田会では古代史、古墳や古い神社、仏閣、に興味のある方や古事記、日本書紀 を読んいる方、読んでみたい方など新しい仲間の入会をお待ちしております。

入会案内
東京古田会は新規会員を常時募集しています。古田武彦や古代史に興味のある方、どうぞお気軽にお問合せ下さい。又、入会ご希望の方や、本会にご興味のある知人・友人の方をご紹介ください。入会希望の方は「事務局」に電話又はメールで住所・氏名等をご連絡ください。事務局へのメールは こちらをクリック
年会費は4,000円になります。



10月 月例会

【日 時】

令和8年10月31日(土曜日)  13時から17時

【会 場】

中央区・堀留区民館 洋室1号 アクセスはこちらをクリック

【第一部】

1. 勉強会

「空白の時代・卑弥呼の時代のヤマト王権」  竹田 侑子氏

2. 懇談会

フリートーキング

【休 憩】

【第二部】

1. 勉強会

題名:「古田武彦著作集」から『邪馬壹国の論理』その5
新保 高之氏

2. 読書会

題名:『日本書紀』「清寧天皇紀他」を読むその6 新保 高之氏



11月 月例会

【日 時】

令和8年11月28日(土曜日)  13時から17時

【会 場】

中央区・明石町区民館 洋室6号 アクセスはこちらをクリック

【第一部】

1. 勉強会

1.「長野県真田の鉄・その二」      吉村 八州男氏

2. 古代セミナー 報告          橘高 修氏

2. 懇談会

フリートーキング

【休 憩】

【第二部】

1. 勉強会

題名:「古田武彦著作集」から『邪馬壹国の論理』その4
新保 高之氏

2. 読書会

題名:『日本書紀』「清寧天皇紀他」を読むその5 新保 高之氏



12月 月例会

【日 時】

令和8年12月26日(土曜日)  13時から17時

【会 場】

中央区・ ー後日ー

【第一部】

1. 勉強会

ー後日ー

2. 懇談会

フリートーキング

【休 憩】

【第二部】

1. 勉強会

題名:「古田武彦著作集」から『邪馬壹国の論理』その5
新保 高之氏

2. 読書会

題名:『日本書紀』「清寧天皇紀他」を読むその6 新保 高之氏



万葉集オンライン学習会の案内


東京古田会会員の広幡文氏による「万葉集オンライン学習会」が始まりました。
広幡氏は永年、万葉集の歌を詠み解き,歌が詠まれた時代背景、古事記、日本書紀などに書かれている事柄との関係を研究されております。
この機会に会員方、会員でない方、学生の方、どなたでもパソコン、スマホをお持ちであれば参加できます。詳細は下記案内を参照ください。参加費は無料です。
金銭的な問題はありませんが内容等に疑問、不審点があるときは東京古田会事務局までご連絡ください。

info@tokyofurutakai.com


万葉集オンライン学習会 9月学習会報告

万葉集オンライン学習会は、9月で6回目を迎えました。参加したいと手を挙げてくれた方は21名で、今回は8名の参加でした。

今月のテーマは大宰帥として有名な「大伴旅人」。大宰府での梅花宴(32首)の注釈「初春令月気淑風和」から「令和」元号が作られたことで有名になった宴ですが、大伴旅人と山上憶良の二人の睦まじさを強調する宴でもあります。「春去ればまず咲く宿の梅の花 一人見つつや春日暮らさむ」と山上憶良が妻を亡くし一人暮らしをする大伴旅人をいたわる歌を詠んで、それに対して大伴旅人が「我が園に梅の花散る久方の天より雪の流れ来るかも」と「あの世に逝った妻が天から散らしてくれる雪のように見える梅の花びらだ」と答えています。

 また大宰帥として大宰府蘆木駅で12名の参加で歌会を主催しますが、藤原四家から二人参加するほか天皇まで参加し、天皇の歌の前後を務めるのが山上憶良と大伴旅人です。この二人が天平初期を代表する歌人であることがこれで証明されたようなものです。この時の山上憶良の歌が「秋の野に咲きたる花をおよび折り数かぞふれば七草の花」「萩の花・尾花・葛花・撫子の花 女郎花また藤袴・朝顔の花」。

 七二八年に大宰帥になった大伴旅人に七三〇年大納言就任・奈良京帰郷の辞令が発せられます。しかし奈良佐保地に帰った大伴旅人は「吾妹子の植えし梅の樹見る毎に心むせつつ涙し流る」と、毎日妻のことを歌にし半年で死んでしまいます。その死去を「遠長く仕えむものと思えりし君し座(ま)さねば心どもなし」「みどりごの這ひたもとおり朝夕に哭(ね)のみぞ我が泣く君無しにして」と、付き人余明軍が歌っています。この時家持は十二歳、ですから「みどりご」は弟書持(ふみもち)です。

 万葉集の編者と目される大伴家持(旅人の長男)ですが、彼は蝦夷討伐名目で東北地方に左遷させられます。延暦元年(782年)6月17日のこと。そして延暦四年(785年) 8月28日任地にて死去しています。ですから死去した場所は多賀城と推定されます。

 これらのことを今回は学習しました。そして大伴旅人が福岡弁(博多弁)を話すことが明らかになりました。「大夫(ますらを)跡 念へる吾哉 水茎之 水城之上尓 泣拭はむ」の歌の「拭う」が「のごう」と振りかなされます。「のごう」は大伴家持も使用しています。ですから、大伴親子は筑紫地方出身者であると判明。また大宰府で歌われる歌に近江地名がたくさん登場します。「我が行くは久にはあらじ夢の和太瀬にはならずて淵にしあらも」「伊香児山野辺に咲きたる萩見れば君し家たる尾花し念ほゆ」「指進の栗栖の小野の萩の花落ちむ時には行きて手向けむ」などです。

 そこで「筑紫の大和」「大宰府≒近江」を検討する必要にせまられ、次回は万葉集から離れて、日本書紀の「神武東征」を学習することにしました。


今回の学習内容の詳細は こちらをクリック して資料をご覧ください。

次回は10月11日(第2日曜日)09時00分から
課目:『日本書記』 神武東征

ーぜひ大勢の方に参加して頂けます様、お待ちしておりますー

尚学習会で利用する題目等の参考資料はメール【hirohata3888@outlook.jp]までご請求下さい。
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古代史講演会in 池上会館報告  講師:服部静尚氏

日時:2026年9月20日(日)13時30分~16時
第9回 題目 倭国が日本国となった理由  <筑紫都督倭国王の存在>
【講演内容】

1、701年に王朝交代があったとする古田説

2、日本と書いてヤマトと読む、倭も日本もヤマト

3、中国史書『旧唐書』に見える倭国と日本国

4、670年、日本国に国号変更。その直前に何が?

  665年、突如『天智紀』に現れる筑紫都督府

5、倭国から日本国への国号変更のまとめ

講演聴講者からの投稿
千葉市 倉沢良典さん

9月20日(日)、台風25号の接近で不穏な空模様。まるでテンペストか。池上会館には何時もよりはやや少なめでしたが30名越えの皆様が集まりました。

服部氏は旧唐書に記載されている、①日本国は倭国とは別の国。②倭国が国名を日本に改めた。③日本国は倭国を併合した。この3点は日本国からの使者がそれぞれに主張した内容である。だからこの3点がすべて成立する状況を考察する必要がある、とされました。ここで結論を述べると間違いがあってはいけませので、あえて書きません。今回も非常にワクワクする内容で目を見開かれる思いでした。

ご参加の皆様も同じ思いで、講演終了後いは質問が次々と発せられて予定時間を大幅に超えました。


講演内容はYouTubeチャンネル【八鳥ちゃんねる】で聴講できます。

https://www.youtube.com/@hattori_yao

チャンネル登録をお願い致します。

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「第10回」は10月18日(日曜日)13時30分から
題目 高市皇子の死と禅譲

ぜひお誘い合わせてご参加をお願い致します

会場:東京都大田区池上1-32-8 池上会館 3階会議室



古代史トピック

  ≪トピック 36≫

ー日本人のゲノムには、デニソワ人由来の遺伝子が一部存在ー
謎多きデニソワ人・中国南西部にも?


シベリア南部の洞窟で発見された骨のゲノム(遺伝子情報)解析で2010年に存在が報告されてからも、多くの謎につつまれたデニソワ人が、中国南西部にもいたことがわかったと中国科学院などの研究グループが9月9日付の科学誌「ネイチャー」に発表しました。
これまでデニソワ人の骨は、チベット高原や中国北東部、台湾周辺の海底などで見つかっていますが
中国南西部で見つかったのは初めて。現在の東南アジアやオセアニアの現生人類集団はデニソワ人由来のゲノムの一部を受け継いでおり、デニソワ人と現生人類が中国南西部で混血した可能性が指摘されております。研究グループは、雲南省の標高2370mの洞窟を発掘。出土した6万個以上の動物の骨などの破片に含まれるタンパク質を分析した結果、腕の骨1個と頭の骨2個、歯4本がデニソワ人のものとわかりました。これらの骨や歯は少なくとも4人のもので、年代測定は約16万7000年~約13万4000年前に生きていたことを示しました。デニソワ人は頭骨をもとに顔が復元された例がありますが、ほとんどゲノムやタンパク質の分析データーでネアンデルタール人の姉妹種と確認されたものの、どのような人々だったかはよくわかっていません。今回腕の骨が見つかったことで体の大きさなどを推測する手がかり得られました。


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古代史トピック

  ≪トピック 37≫

「伊都国」福岡県糸島市の弥生時代の遺跡群、
中国や朝鮮半島との交流を示す木製品の出土相次ぐ…
「西の玄関口の役割裏付け」


イメージ福岡県糸島市深江地区にある弥生時代の遺跡群で近年、中国や朝鮮半島との交流を裏付ける木製品の出土が相次いでいる。糸島地域は中国の歴史書「魏志倭人伝」に記された「伊都国」の所在地として知られており、深江地区一帯が海外の先進文化を受け入れる窓口だった様子が具体的に浮かび上がってきた。(白石知子)唐津湾に面する深江地区には、弥生時代中期後半から古墳時代初頭(紀元前1世紀~紀元後3世紀後半)にかけて港湾集落があったと考えられてきた。

1990年代初頭に、同地区の深江井牟田遺跡から中国式銅剣2本や、古代中国・漢の出先機関だった楽浪郡(現在の平壌付近)の多様な土器が多数出土し、大陸との交流がうかがわれたためだ。東隣にある深江城崎(じょうざき)遺跡で2025年、弥生時代後期初頭から前半(1世紀頃)の遺構から、木製の台「案」が初めて完全な形で出土した。天板は幅約65センチ、奥行き40センチで、脚の高さ約19センチ。指物技術で組み立てられており、漢製の案を模倣して国内で作られたとみられる。天板には刃物による傷が多数あるため、まな板として使われたとの見方があり、儀礼や供宴に用いられた可能性もある。案の近くでは、船の部材や背負子(しょいこ)など、港としての機能を示す遺物が見つかり、港湾集落があったことが裏付けられた。特に注目されるのは、準構造船の内部を仕切る幅1.4メートルの隔壁だ。

準構造船は、丸木舟の側面を板でかさ上げして大きくした船。久宝寺遺跡(大阪府)で出土した外洋船とみられる3世紀後半頃の準構造船が復元幅約1.5メートルで、調査を担当した市文化課の江崎靖隆さんは「この準構造船も、朝鮮半島、中国など遠方まで航海可能な規模だったと考えられる」とする。

深江城崎遺遺跡では、21年度にクジラが描かれた弥生土器が出土して一支(いき)国の王都だった原の辻遺跡(長崎県壱岐市)に続く国内2例目だったことから、一支国とも交流があったと考えられている。隣接する深江石町遺跡では24年度、弥生時代後期前半の遺構から、中国・漢で作られた木製の櫛(くし)「箆(び)」が国内で初めて出土した。長さ7.1センチ、幅5.5センチ、厚さ0.1~0.5センチ。歯は細かくて本数が多く、髪の汚れを取り除くために使われたとみられる。こうした木製品が出土したのは、深江地区一帯が低地の湿地帯で、木材の保存状態が良かったことも要因だ。深江石町遺跡では、湿地を利用して木材を穴の中で保存していた痕跡があり、22年度には製作途中の木製のよろいが見つかったことから木材加工の拠点だった可能性もある。魏志倭人伝は伊都国について、代々の王は「女王国(邪馬台国連合)に統属」し、漢の後の王朝・魏の出先機関だった帯方郡の使者が常駐していたと記す。女王国と連携して諸国を監視する「一大率(いちだいそつ)」が置かれ、使者がもたらした物や文書を確認していたとしており、伊都国が内政、外交上特別な地位にあったことが解る伊都国の王都は、深江遺跡群の北東約10キロに位置する三雲・井原遺跡群とされる。対外交流の拠点とみられる遺跡は、03年の調査で玉造工房跡が見つかった潤地頭給(うるうじとうきゅう)遺跡など、当時の海岸線沿いに複数ある。中でも深江地区と、糸島半島東側の今宿五郎江遺跡(福岡市西区)は、出土した楽浪系の土器の数や多様さで突出し、特に重要な拠点だったと考えられている。

西谷正・九州大名誉教授(東アジア考古学)は「準構造船が出てきたことで、深江地区の『西の玄関口』としての役割が裏付けられた。伊都国の外交や交易の様子を明らかにする手がかりとしての意義は大きい」と話した。 


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新刊紹介

千三百年前の歌には、まだ聞かれぬ声がある!!

万葉集は、遠い古典である前に、古代の人々が思いを託した生きた言葉だった。
著者は、本書で、枕詞や旧訓、漢字の読みを丁寧に問い直し、従来とは異なる解釈の可能性を探り、歌人たちの笑い、恋、嘆き、祈りが、今を生きる私たちの心にも響いてくる、と説いていている。新しい万葉の世界へ誘う一冊である。


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著者紹介
橋本正浩(はしもとまさひろ)
1942年東京生まれ
東京古田会(古田武彦と古代史を研究する会)会員
発行:幻冬舎メディアコンサルテング
発売:幻冬舎




入会案内
東京古田会は新規会員を常時募集しています。古田武彦や古代史に興味のある方、どうぞお気軽にお問合せ下さい。又、入会ご希望の方や、本会にご興味のある知人・友人の方をご紹介ください。入会希望の方は「事務局」に電話又はメールで住所・氏名等をご連絡ください。事務局へのメールは こちらをクリック
年会費は4,000円になります。

東京古田会ニュース原稿募集
東京古田会では会報「東京古田会ニュース」へ掲載する論文・小論・古代史雑感などを募集しています。住所・氏名を必ず明記のうえ500字から5,000字程度にまとめて、事務局」までメールにてお送り下さい。ただし、特定個人への中傷や古代史と無関係な場合は掲載をお断りすることがあります。予めご了承ください。また、他紙などへすでに 投稿しているものとまったく同じ内容の原稿は原則として掲載できません。 掲載の可否については編集会議で決定させていただきます。

尚、掲載された原稿は当会に著作権があるものと致します。

事務局へのメールは こちらをクリック