古田武彦と古代史を研究する会(東京古田会)へようこそ‼

古田武彦氏は、1971年『「邪馬台国」はなかった』を上梓し古代史研究に一大センセーションを巻き起こしました。
中国史書魏志倭人伝に登場する「邪馬台国」は、ただしくは「邪馬壹(壱)国」で、九州博多湾岸に存在した、ことを論証したからです。
当会は、古田武彦氏の研究の業績と方法論に基づいて、日本の古代史を探求する集まりで、1981年に発足しました。

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   つがるそとさんぐんし     わだけもんじょ               

『東日流外三郡誌』・「和田家文書」の真実

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当会では30年前「偽書」と断じられた『東日流外三郡誌』の真実を解明 すべき「和田家文書研究会」を立ち上げ、課題を1件ごとに検証を進め ております。莫大な文書、絵図、逸話、語部録等を紐解き「ひとつ」 でも真実を掴むために!今も続けております。

下段の項目ボタンをクリックして紐解いてみてくださいー
北鑑 和田家文書コレクション 和田家資料1~5 天内・天真名井家文書

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古代史トピック



お知らせ


3月 月例会報告

【日 時】

令和8年3月28日 (土曜日)   13時から17時

【会 場】

中央区・佃区民館  【参加者 14名 リモート参加者 若干名】

第一部 (研究発表と懇談会)


1.研究発表  題名:「倭国から日本国へ」をマクロ的に考える  橘高 修氏

(1)説明趣旨:
「七世紀までの古代史を「倭国から日本国へ」の視点でマクロ的にまとめてみた」とのこと。

(2)発表項目:

❶日本列島に存在した国家・王朝・集団、❷神話から見る大きな流れ、❸漢籍のキーワードで見る「倭国から日本国へ」でした。

(3)発表内容:
❶列島は「複数の地域国家」の集合体として、九州・出雲・吉備・丹後・越前・尾張・畿内を抽出、概要説明があり、❷出雲政権後に九州に強力な王権が存在し、その勢力が後に畿内へ進出とした歴史的記憶が「国譲り→天孫降臨→神武東征」の神話構造に変換された、と。❸『漢書』地理志・『後漢書』倭伝・「魏志倭人伝」・「宋書倭国伝」・「隋書俀国伝」のそれぞれの重要語を抽出し、倭国の中心が九州にあったと指摘されました。

(4)まとめ:
『旧唐書』倭国日本国伝「日本国者倭国之別種也」から、ここに初めて登場する日本国は「大和朝廷」であるとされ、古代史の勉強には定期的な見直しと確認が必要との話がありました。

(5)論点・質疑:
❶天皇陵の造営者は誰か←五世紀の渡来人の王様か。❷古墳の多い「関東」がないが←四方への派遣はヤマト王権による後付け。❸高天原の勢力はどこから←天国から来た。❹古墳時代に渡来した人々は、遺伝分析から現代人とほぼ同じ。❺マクロ的に古代史をとらえることが重要。❻「なぜ記紀は「九州→畿内」を神話化したのかに関連した三つの理由:天皇家の正当性を「畿内起源」としたかった←古賀氏が反論「畿内発生とは近畿朝廷は自ら言っていない」と。

(6)感想:
❶すっきりとした説明・解説がとてもよく、❷参加者からも多数の意見があり、活発でした。(発表30分、質疑45分)

発表資料は こちらをクリック してお読みください。

【懇談会】
❶八王子古代史セミナー「研究会」立上げを紹介し、参加を呼びかけ(橘高氏)
❷内倉武久著『「神話」を科学する』の発刊紹介(西坂氏)
❸会場の集音状態が悪く、リモート者に迷惑。 (15分)


第二部 (勉強会と読書会)  新保 高之氏  


1.【勉強会】 題名:『ここに古代王朝ありき 耶馬一国の考古学』その7

   

(1)発表趣旨:
第四部〔失われた考古学〕の第二章〔隠された島〕と第三章〔九州王朝の都城〕でした。

(2)説明内容:
❶〔隠された島〕の本章は16節からなり、先生は、論説を通じて〔沖の島(正式表記は沖ノ島)にある"奉納物"は近畿朝廷からではなく九州王朝からのもので、白村江以降の九州王朝消滅まで継続されていた〕とされます。❷〔九州王朝の都城〕の本章は10節で、先生は、〔九州王朝の都城は太宰府にあった〕と、その性格や創設年代に関して考古学的な見地から考察をされる。付随して「神籠石」についても触れられています。❸これらに関し、各章各節の要点事項の説明がありました。

(3)質疑等:
古賀達也氏から以下のような貴重な指摘がありました
A.❶「沖ノ島」を研究しているが、大和から奉納物では絶対ない。❷第一期(4世紀)~三期(7~8世紀)では素晴らしい遺物が出土するが、第四期(8~9世紀)は宗像周辺の遺物が出土するだけ。
B.測定の鬼(坂田武彦)先生関連「大宰府近辺出土の木炭による年代測定には、❶測定誤差の存在、❷大宰府からの出土ではない、点に注意すべき。  (解説・質疑40分)

 

2.【読書会】 題名:『日本書紀』  「雄略紀 新規その7」

(1)対象:
最終回は、「雄略紀全体のまとめ」でした。雄略紀は即位前記から23年8月条まであり、これより長い天皇紀は以後、❶継体紀25年、❷欽明紀32年、❸推古紀36年だけです。大和周辺の狩猟・遊行、国内反勢力の征伐、韓半島での百済支援等。これら多様な事柄を、説話風あるいは中国史書などによる文飾を交えながら記述し、物事や氏族の由来・来歴などにも触れています。

(2)復習内容:
❶「雄略天皇紀」の主要記事を再提示して、❷特徴となる事項等を抽出しての説明でした。

(3)質疑等:
❶「鳥養部」の刺青に関連して、魏志倭人伝では海人の風習だが、この頃には罰則になったのか。
❷えげつない記事や残虐な記事が多いが、和田家文書でもいい記事だけではない。
❸正しい情報を共有させないでの諍いがある、などがありました。  (解説・質疑40分)


発表資料は こちらをクリック してお読みください。

ご意見・質問はメールで【info@tokyo-furutakai.com】下さい。



4月 月例会

【日 時】

令和8年04月25日(土曜日)  13時から17時

【会 場】

中央区・堀留町区民館 洋室2号  アクセスはこちらをクリック

【第一部】

1. ディスカッション

橘高論稿「『魏志倭人伝』帯方郡から狗邪韓国までの行程文の解釈」と村田千賀子氏の反論稿を中心に討議

2. 懇親会

テーマありましたらお寄せください

【休 憩】

【第二部】

1. 勉強会

題名:「古田武彦著作集」から  新保 高之氏
   『ここに古代王朝ありき  耶馬一国の考古学』 まとめ

2. 読書会

題名:『日本書紀』「清寧天皇紀」を読むその1  新保 高之氏



5月 第63回「和田家文書研究会」例会

【日 時】

令和8年5月9日(土曜日)  13時から17時

【会 場】

中央区・堀留区民館 洋室3号  アクセスはこちらをクリック

【発 表】 1.『陸奥話記』を『和田家文書』と対比して共に読む その7  菊地 栄吾氏
2.「和田家文書」法然の手紙  安彦 克己氏



5月 定時総会のお知らせ

【日 時】

令和8年5月30日(土曜日)  13時から17時

【会 場】

中央区・明石町区民館 洋室8号  アクセスはこちらをクリック

【総会議案】 ●2025年度
活動報告・会計報告
●2026年度
活動方針・予算
●その他必要に応じ、討議を行います。
【休 憩】
【特別講演会】 講師:國枝 浩氏
演題:「二倍年暦」説は成り立つのか
※会員の皆様! 「年1度の総会」ですぜひ会場へ足をお運びくださいお願い致します。



春季研修旅行のお知らせ 和田家文書研究会と秋田孝季集史研究会共催
「和田家文書」みちずれの秋田と世界遺産(縄文遺跡)を訪ねる」

旅行予定日

2026年5月12日(火)~14日(木)2泊3日

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集合場所

JR(秋田新幹線)大曲駅 10時50分集合

旅行費用

概算85.000円 (参加人数により若干増減あり)

お問合せ info@tpkyo-furutakai.com
又は090-8645-1818 中村まで
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愛媛県在住の古代史家合田洋一氏
『我が国皇室の知られざる古代』
出版記念講演会のご案内

ー特に予約は必要ありませんー


【開催日時】

2026年5月3日(日)

【記念講演会】

会場:かながわ県民センター305号室
(最寄り駅は横浜駅「西口」・「きた西口」徒歩5分)横浜市神奈川区鶴屋町2-24-2
開場:13:00
講演:13:10から(講演後質疑応答15:30まで)
参加費200円
講演会後、別途会場で講師を囲んだ懇親会を行います

【主催】

古代史を学ぶ会講演実行委員会

【連絡先】 榛葉 TEL:070-1183-1350  kodaishi1350@docomo.ne.jp
■合田洋一氏プロフィール
新・古代史の会事務局長、東京古田会会員、多元的古代研究会会員
著書
『国生み神話の伊予之二名洲考』風早歴史文化研究会2002年
『聖徳太子の虚像-道後来湯説の真実-』創風社出版2004年
『新説伊予の古代』創風社出版2008年
『地名が解き明かす古代日本-錯覚された北海道・東北』ミネルヴァ書房2012年
『葬られた驚愕の古代史』創風社出版2018年
『「朝鮮通信使饗応の絵巻物」蝦夷地伝来の謎』創風社出版2022年
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古代史講演会in 池上会館報告  講師:服部静尚氏


3月15日(日曜日)「ここに九州王朝ありき第2弾」
第3回 『古事記』と太安萬侶 —国生み神話などー

会場満席近い方々が参加され、以下の題目について今回も歴史教科書に風穴を開ける意気込みで熱のはいった自論を講演された。


1、若き古田武彦氏の発見
『古事記』は、太安萬侶が712年に編纂したと序文に記す。この序文は『尚書正義』と相似形であった。
しかし、序文と本文は一体であるという説は成り立たない。

2、812年成立の『弘仁私記』によると、『日本書紀』編纂にも安萬侶が関わっていた。序文が言う「712年、元明天皇に上奏」には疑問がある。

3、記紀神話には、一定の歴史事実が含まれていた。




講演内容はYouTubeチャンネル【八鳥ちゃんねる】で聴講できます。

https://www.youtube.com/@hattori_yao

チャンネル登録をお願い致します。


 「第4回」は4月19日(日曜日)14時から
題目 鏡と庄内式土器 空白の3世紀

ぜひお誘い合わせてご参加をお願い致します。
会場案内等は下記案内チラシを参考にして下さい

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古代史トピック

  ≪トピック 29≫

三内丸山遺跡(青森市)の埋設土器から
縄文時代中期末葉のものとみられる
人骨や歯、初出土「再葬墓の時期、考える上で貴重」

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三内丸山遺跡(青森市)の本年度の発掘調査で、縄文時代中期末葉のものとみられる埋設土器(乳幼児の墓)の中から、大人の骨片や臼歯が見つかったことが19日、分かった。同遺跡で墓から人骨や歯が出土するのは初めてで、全国的にも数例という。同日、三内丸山遺跡センターで行われた発掘調査委員会の会合で報告された。埋設土器は、Aトレンチ(調査区)から倒立した状態で見つかった。土器下部の褐色土から臼歯や骨片が出土し、臼歯は12歳くらいのものと推定される。縄文時代後期になると、遺体を土に仮埋葬して白骨化させ、再び土器に納めて埋葬する「再葬墓」という埋葬方法が見られる。今回の埋設土器は同時代中期末葉のものとみられ、既に再葬墓のような埋葬の形があった可能性がある。
発掘調査委の岡田康博委員長(三内丸山遺跡センター顧問)は「再葬墓の時期を考える上でとても貴重なもの」と評価している



古代史トピック

  ≪トピック 30≫

福岡平野東部「古代の糟屋」は
大宰府の交通・物流拠点だった…
発掘調査で注目、役所跡・港湾施設など分析進む


かつて筑前国糟屋(かすや)郡と呼ばれた福岡平野東部で進む、古代の官衙(かんが)(役所)跡の発掘調査が注目されている。文字資料に記録された施設などの名称と、遺構や出土遺物の分析から、この地が古代の九州を統括した大宰府の交通・物流の拠点だったことが明らかになってきた。
福岡市のベッドタウンとして発展する福岡県粕屋町。須恵川右岸に南北400メートル、東西900メートルにわたり広がる標高6~8メートルの微高地に、古代の糟屋郡の役所跡、阿恵(あえ)遺跡群がある。一帯は九州大学の農場だったことから開発を免れており、2013年から続く町教育委員会の発掘調査で、「コ」の字形に並んだ長辺40メートル以上の大型建物跡、1辺4~8メートルの建物跡15棟などが見つかった。前者は政務や儀式を行う政庁、後者は租税のコメなどを収める倉庫(正倉(しょうそう))の遺構で、飛鳥時代の7世紀後半~奈良時代の8世紀に営まれた。遺跡を横切る形で幅21メートルの道路跡も確認された。
京都・妙心寺にある国宝の梵鐘(ぼんしょう)の銘文には、<糟屋評造舂米連広国(こおりのつくりつきしねのむらじひろくに)>という、当時の糟屋郡トップ(評造)の名が記されている。地方行政単位の郡は701年の大宝律令以前は「評」と表記されており、銘文にある鐘の鋳造年「戊戌年」は698年と考えられている。
「この政庁跡で舂米連広国が政務を行っていたと考えられます」と、調査を担当する西垣彰博・社会教育課主幹。評から郡に至る地方官衙の変遷を追うことができるとして、2020年に阿恵官遺跡の名称で国史跡に指定された。

ー万葉集に登場する「夷守駅家」跡かー

約700メートル北の内橋坪見遺跡(粕屋町)では12~13年の発掘調査で、長辺20メートルを超える7世紀末~8世紀前半の大型建物跡が確認された。朱塗りの柱の存在を示す赤色顔料や大宰府式鬼瓦の出土、また大宰府と都を結ぶ駅路(幹線道路)の推定ルートに接し、博多湾の志賀島を望む立地から、万葉集に登場する「夷守駅家(ひなもりのうまや)」跡とみられる。
その万葉歌<草枕旅行く君を愛(うるは)しみ副(たぐ)ひてそ来し志賀の浜辺を>は天平2年(730年)、都に戻る使者を送る宴(うたげ)が夷守駅家で催されたときに大宰府の役人が詠んだものである。「君との別れが名残惜しく、志賀島を望む浜をともに歩いてきた」といった意味だ。 志賀島につながる砂州(海の中道)では漁労集落跡が発掘されており、大宰府直轄の海産物の調達先と考えられている。内橋坪見遺跡の周辺では宴会用の食器も出土しており、松川さんは「夷守駅家は、海産物を調達するうえでも都合のよい立地。広い意味での大宰府の境界で、送別の宴を催す場としての位置づけだった」とみる。内橋坪見遺跡から約700メートル北西、当時の河口に近い多々良込田遺跡(福岡市東区)でも、鬼瓦や貿易陶磁器が出土している。西垣さんは「港湾施設としての性格が想定でき、夷守駅家を後にした人々がここで船に乗り換え、都に向かったことも考えられる。古代の糟屋郡が、陸海交通の要衝でもあったことがうかがえる」と話す。時代をさかのぼると、日本書紀の528年の記事には、ヤマト王権に反旗を翻した筑紫君磐井(つくしのきみいわい)の子である葛子(くずこ)が「糟屋屯倉(みやけ)」を献上したことで助命されたとある。屯倉とは倉庫や官舎を伴う王権の直轄地をいう。糟屋の地が古墳時代から交通や物流の結節点だったことを示すもので、一連の遺跡は磐井の余徳とみることもできそうだ。

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入会案内
東京古田会は新規会員を常時募集しています。古田武彦や古代史に興味のある方、どうぞお気軽にお問合せ下さい。又、入会ご希望の方や、本会にご興味のある知人・友人の方をご紹介ください。入会希望の方は「事務局」に電話又はメールで住所・氏名等をご連絡ください。事務局へのメールは こちらをクリック
年会費は4,000円になります。

東京古田会ニュース原稿募集
東京古田会では会報「東京古田会ニュース」へ掲載する論文・小論・古代史雑感などを募集しています。住所・氏名を必ず明記のうえ500字から5,000字程度にまとめて、事務局」までメールにてお送り下さい。ただし、特定個人への中傷や古代史と無関係な場合は掲載をお断りすることがあります。予めご了承ください。また、他紙などへすでに 投稿しているものとまったく同じ内容の原稿は原則として掲載できません。 掲載の可否については編集会議で決定させていただきます。

尚、掲載された原稿は当会に著作権があるものと致します。

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