古田武彦と古代史を研究する会(東京古田会)へようこそ‼

古田武彦氏は、1971年『「邪馬台国」はなかった』を上梓し古代史研究に一大センセーションを巻き起こしました。
中国史書魏志倭人伝に登場する「邪馬台国」は、ただしくは「邪馬壹(壱)国」で、九州博多湾岸に存在した、ことを論証したからです。
当会は、古田武彦氏の研究の業績と方法論に基づいて、日本の古代史を探求する集まりで、1981年に発足しました。

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   つがるそとさんぐんし     わだけもんじょ               

『東日流外三郡誌』・「和田家文書」の真実

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当会では30年前「偽書」と断じられた『東日流外三郡誌』の真実を解明 すべき「和田家文書研究会」を立ち上げ、課題を1件ごとに検証を進め ております。莫大な文書、絵図、逸話、語部録等を紐解き「ひとつ」 でも真実を掴むために!今も続けております。

下段の項目ボタンをクリックして紐解いてみてくださいー
北鑑 和田家文書コレクション 和田家資料1~5 天内・天真名井家文書

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お知らせ


古田武彦記念古代史セミナー2025 開催日が近づきたました!
今回のテーマ「卑弥呼はどこにいたか」

今回は古田先生の「邪馬壹(壱)国」「九州王朝」説と違う説を唱える先生方にも講師として登壇して頂きます。
開催日:2025年11月8日(土)~9日(日)

仁藤敦史 (にとうあつし) 先生
久住猛雄 (くすみたけお) 先生
関川尚功 (せきがわひさよし) 先生
谷川清隆 (たにかわきよたか) 先生

国立歴史民俗博物館歴史研究部教授(2008~2025年)
福岡市教育委員会・市役所に文化財専門職として入庁・在職
橿原考古学研究所で奈良県内の発掘調査を長年行ってきた。
国立天文台、科学研究部、特別客員研究員


★★★多くの方が八王子の「大学セミナーハウス」にお集まりになるのを心よりお待ちいたしております★★★

募集要項・実施要項はこちらをクリック して下さい。 



10月 月例会報告

【日 時】

令和7年10月25日(土曜日) 13時~17時

【会 場】

中央区・明石町区民館 【会場参加者14名 リモート参加5名】

第一部 (研究発表と懇談会)


1.研究発表  題名:「天武・持統紀トピックス」  一部・二部とも  新保 高之氏

(1)説明趣旨:
月例会第二部「読書会」で履修した「天武紀(下)と持統紀」で扱ったトピックスなどについて、両紀に共通・相反する事項などについて再紹介がありました。
(2)発表項目:
次のようでした。はじめに、①両紀の特徴②補注③重大な出来事と重要施策④詔と勅⑤外交関連⑥行幸等⑦正月行事⑧壬申年之功⑨倭国の〇〇王⑩「饗応」⑪自然現象⑫両紀のみの記事など、まとめ。
(3)論点など:
①両紀とも実録的な記事が中心、②天武紀の詔勅に比べ持統紀には冗長的記事が多い。③持統紀元年二年条が天武天皇の葬送記事で埋められているのは異常。④両紀の記事には依拠史料の移入・移出が多数のある可能性も、などでした。
(4)質疑等:
両紀には特に唐との交流記事がないこと、その理由や背景を説明する意見が多かったように思います。(発表55分、質疑10分)

2. 【懇談会】 引き続いて、研究発表への意見交換が少しありました。(10分)

第二部 (勉強会と読書会) 


1.【勉強会】
 「古田武彦『ここに古代王朝ありき』その一」  (今回から履修対象が変わりました)


(1)説明対象
①目次と各章・節群の題名、②「はじめに」の要点、③第一部〔邪馬一国の考古学〕中の第一章「卑弥呼に会った魏使」、でした。
(2)説明内容
①これらの提示、②説明、③全8節の要点を抽出して解説など、④この章は古田先生の思考の流れに沿って記述されている、等でした。
(3)質疑等
①「奴国」の想定場所や吉武高木遺跡の位置について確認の質問、②吉野ヶ里に関連して三種の神器の起源などについての意見交換などがありました。(解説・質疑40分)



2.読書会  「岩波文庫『日本書紀』 「雄略紀新規その一」

(1)はじめに
「雄略紀」履修中断の経緯と履修済み部分の雄略五年二月条までを例示するとの説明がありました。
(2)対象
①第一(神代上)~第十三(允恭・安康天皇)巻の主要記事の例示と雄略紀五年二月条まで、でした。
(3)履修内容
①「雄略天皇紀」の主要記事の提示と、②「雄略天皇紀」五年二月条までの原文記事と現代語訳を例示しての説明・解説でした。
(4)質疑応答
①記事内容は実録的ではなく殆どを説話で構成されている。②仁徳紀の髪長媛説話との関連で、大和葛城郡と宮崎県とに繋がり。③雄略を悪天皇とするのは仁徳天皇系とは違う王朝だからか。④元年条の采女・童女君と娘に関する色っぽい異例説話の背景への疑問。
これについては、「春日大娘皇女は後の仁賢皇后で、後の継体皇后である手白香皇女を生んだ」との説明がありました。このためには、⑤『記・紀』を読み比べるやり方が有効、との話が出ました。なお、三年条末尾の現代語訳は主語の取り違えとの指摘がありました。(解説・質疑50分)


発表資料は こちらをクリック してお読みください。

ご意見・質問はメールで【info@tokyo-furutakai.com】下さい。



11月 月例会

【日 時】

令和7年11月29日(土曜日) 13時~17時

【会 場】

中央区・佃区民館 洋室4号  アクセスはこちらをクリック

【第一部】

1. 研究発表

題名:「私のホツマツタエ」  尾木 由起子氏

2. 懇親会

フリートーク

【休 憩】

【第二部】

1. 勉強会

題名:「古田武彦著作集」から  新保 高之氏
   『ここに古代王朝ありきー耶馬一国の考古学』 その2

2. 読書会

題名:『日本書紀』を読む その2  新保 高之氏
   「雄略天皇紀」



12月 月例会

【日 時】

令和7年12月27日(土曜日) 13時~17時

【会 場】

中央区・佃区民館 洋室2号  アクセスはこちらをクリック

【第一部】

1. 研究発表

題名:気候変動②  斉藤 隆雄氏

2. 懇親会

フリートーク

【休 憩】

【第二部】

1. 勉強会

題名:「古田武彦著作集」から  新保 高之氏
   『ここに古代王朝ありきー耶馬一国の考古学』 その2

2. 読書会

題名:『日本書紀』を読む その2  新保 高之氏
   「雄略天皇紀」



ー研修旅行報告ー

宮地嶽神社の「筑紫舞」と筑前大島・対馬の旅
2025年10月21日(火)~24日(金)
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博多地方の弥生遺跡群・元寇襲来に備えての「防塁」跡・宮地嶽神社の「奉納筑紫舞」筑前大島の安倍宗任の墓所・対馬の古来からの数々の神社と金田城跡散策等を訪ねる旅を総勢14名で予定通り実施致しました。4日間天候にも恵まれ多くの成果が得られた旅でした。
訪問先解説は「旅のしおり」で! こちらをクリック してください。

■訪問先

10/21
(火)

福岡空港バス ➡ 生の松原(元寇防塁) ➡ 那珂川市資料館 ➡ 安徳台遺跡 ➡ 裂田の溝 ➡ 比恵那珂遺跡群 ➡ 宮地嶽神社(18:00~20:00)【奉納筑紫舞】 ➡ 和白(泊)

10/22
(水)
ホテル ➡ バス ➡ 神湊港渡船ターミナル09:25発 ➡ 船 大島港09:25着 ➡ 大島島内散策 安昌院・安倍宗任の墓所・他 ➡ 宗像中津宮 ➡ 大島港13:00発 ➡ 船 神湊港13:25着 ➡ 宗像大社・宝物館 ➡ 博多港15:55発 ➡ ジェツト船 ➡ 対馬・いずはら港18:00着(泊)
10/23
(木)
ホテル ➡ バス ➡ 阿麻氐留神社 ➡ 豊玉町郷土館 ➡ 和多都美神社 ➡ 峯町歴史資料館 ➡ 海神神社 ➡ 鰐浦(日本書紀・神功天皇の新羅への出港:和珥津) ➡ 韓国展望台 ➡ 上対馬歴史民俗資料館 ➡ 厳原(宿泊)
10/24
(金)
ホテル ➡ バス ➡ 古代山城・金田城 ➡ 小茂田浜神社 ➡ 対馬空港
空港(全日空4936便)15:05発 ➡ 空路 ➡ 福岡空港15:35着 空港到着ロビーで解散
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古代に真実を求めて第二十八集  『列島の古代と風土記』

古田史学の会・出版記念講演会が
2025年10月26日(日曜日)文京区民センター2A会議室で開催されました。
生憎の空模様にも関わらず50名弱の方々が参加して熱心に聴講されました。
講演内容は こちらをクリック して下さい

講演
講師
「日本書紀の災害記事が示す王朝交代」
都司嘉宣氏(元・東京大学地震研究所准教授)
講演
講師
『風土記』が拓く大和朝廷以前の歴史
正木裕氏(元・大阪府立大学理事・講師)
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古代史講演会in 池上会館報告  講師:服部静尚氏


日時:2025年10月19日(日)14時~16時
第10回 「白村江戦と筑紫都督府そして日本国誕生」
『日本書紀』が語る世界とは別世界の(つまり九州王朝の)皇太子を敗戦で終焉した白村江の戦いを下記6点の項目事に、戦い後の歴史を紐解いた講演をされた。
「それが歴史教科書に風穴を開ける史実と!」断言された。講演後、審議応答がなされ閉会した。


1、652年絶頂を迎えた倭国は、663年白村江で唐・新羅連合軍に大敗する。
 ①660年難波宮治天下天皇(倭国王)は崩御する
 ②661年新しい倭国王の弟の皇太子=大海人皇子が大将軍として半島に
 ③662年冬の戦いで百済・高句麗・倭国が優勢だった。
 ➃大将軍(皇太子)明日香皇子=大海人皇子は唐の捕虜となる。
2、筑紫都督倭国王として皇太子が帰還し、670年止む無く日本国が誕生する。
 ①667年羈縻政策で唐は筑紫都督府を設置し、筑紫都督倭国王を派遣する。
 ②670年倭国天皇は止む無く日本国と国号を変更し、日本国王を名乗った。


講演内容はYouTubeチャンネル【八鳥ちゃんねる】で聴講できます。

https://www.youtube.com/@hattori_yao

チャンネル登録をお願い致します。


次回「第11回」は11月16日(日曜日) 14時から16時
          

題目 【呪われた藤原京禅譲と不改常典と宣命文
ぜひお誘い合わせてご参加をお願い致します。


講演題目・会場案内はこちらをクリック して下さい。 



古代史トピック

   

≪トピック 25≫

一度に3面の小型鏡を製作、量産用鋳型が出土…
福岡・「奴国」王都の須玖遺跡群で全国初の確認

福岡県春日市は15日、魏志倭人伝が伝える「奴国」の王都・須玖すぐ遺跡群で、一度に3面の小型鏡を作れる石製の鋳型の破片が出土したと発表した。小型鏡が普及した弥生時代後期(1~2世紀)頃のものとみられ、市は量産用の鋳型の確認は全国で初としている。
発表によると、鋳型は小学校の運動場になっている須玖坂本B遺跡で出土した。約9センチ四方、厚さ約4センチの板状で、縁の内側に細かな斜線が引かれた直径4センチほどの鏡の型が3点(2点は部分)刻まれていた。3点は溝でつながり、溶かした青銅を鋳型に流すと同時に製作できる構造。裏側の面には直径約7センチの鏡の型が1点彫られていた。
鋳型を調査した田尻義了・九州大教授(考古学)は「弥生時代の鏡の鋳型は13点確認されているが、一度に複数枚作れる鋳型は今回が初めて。他地域に供給するために大量生産していたと考えられる」としている。須玖遺跡群は福岡平野南部の大規模遺跡群。前漢鏡など卓越した副葬品を持つ王墓、豪華な銅剣、銅矛などが出土し、瀬戸内海沿岸や朝鮮半島まで青銅器が供給される全国屈指の生産拠点だった。
西谷正・九州大名誉教授(東アジア考古学)は「鏡の大量生産には高い技術力が必要。当時の先進技術地だったことを改めて示す発見だ」と話している。

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入会案内
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